fc2ブログ

レーガーの「ある悲劇のための交響的プロローグ」ほか

0 Comments
風街ろまん
レーガーの「ある悲劇のための交響的プロローグ」私がこのディスクを聴いてみようという気になったのは、「ある悲劇のための交響的プロローグ」というタイトルに惹かれたからである。

もちろん、この曲を作ったのがマックス・レーガー(Max Reger, 1873 - 1916)であることも、私を強く惹き付けた。私はこの「不当に忘れられた作曲家」(柴田南雄氏)が好きだからである。

第一次世界大戦末期、アーノルド・シェーンベルクは、新しい音楽を演奏することを目的とした協会をウィーンに設立することを思い立った。これが私的演奏協会(Verein für musikalische Privataufführungen)で、そこでは、状況が許す限りコンサートは週に1回のペースで行われ、各プログラムは「マーラーから現在まで」の作品で構成されていたという。

しかし、マーラーの死からわずか7年しか経っていなかったために、プログラムで採り上げられた作品は極めて新しいものに限られていた。アルバン・ベルク(Alban Berg, 1885 - 1935)やアントン・ウェーベルン(Anton Webern, 1883 - 1945)などが参加していたこの協会は、オーストリアがハイパーインフレに見舞われたために活動停止のやむなきに到り、わずか3年後に最後の公演が行われた。

しかし、この数年間は決して怠惰な時期ではなく、154曲を含む117回のコンサートが行われ、その多くが複数回演奏されている。統計的には新ウィーン楽派がトップだと思われるかも知れないが、実際にはドビュッシーやバルトークがシェーンベルクよりも多く演奏されている。そして、最も頻繁に演奏された作曲家が、マックス・レーガーだったのである。

1916年に心臓発作のために43歳で亡くなったレーガーが、当時のヨーロッパの音楽シーンで中心的な地位を占めていたことは現在では俄かには信じがたいが、パウル・ヒンデミット(Paul Hindemith, 1895 - 1963)は彼を評して、「マックス・レーガーは最後の偉大な音楽的巨人である。彼なしでは、私は自分自身を想像できない」と語ったと伝えられている。また、ロシアとドイツが戦争中であったにも拘わらず、ロシアでは、レーガーが亡くなった1週間後にサンクトペテルブルクで追悼コンサートが開かれるほど評価されていたという。

レーガーの地位が音楽関係者の間で着実に低下していったのは、後期ロマン派が極端な半音階的和声から伝統的な調性を放棄するに至るという、音楽のスタイルの発展における最後の決定的なステップを踏むのに、彼が十分な寿命が与えられなかったからではないだろうかというのが、ライナーノーツの筆者が述べていることである。彼は決して臆病な作曲家ではなかったし、彼の強力な反対者でさえ、彼を大衆の好みに日和見的に迎合した作曲家だと非難することはできない。それ故に、彼も長生きしていれば最終的には調性の放棄にまで到っていた可能性は否定できないと言うのである。

そんなレーガーは約20曲のオーケストラ作品を作曲し、その多くは大規模なものであったが、その中から2曲をピックアップして組み合わせたのが、今日ご紹介するアルバムである。収録曲は以下の通り。

1.モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ Op. 132 (1914)
2.ある悲劇のための交響的プロローグ Op. 108 (1908)

演奏は、レイフ・セーゲルスタム(Leif Segerstam, 1944 - )指揮ノールショッピング交響楽団(Norrköpings Symfoniorkester)である。フィンランドの指揮者とスウェーデンのオーケストラによる演奏である。

レーガーの写真レーガーの愛好家でなくても、最初の「モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ」は有名な作品なので聴いたことがある人が多いに違いない。この作品は彼の管弦楽曲の中では最も頻繁に演奏されるものの一つで、NMLにも多くの演奏が登録されている。

この「モーツァルトの主題」は、「トルコ行進曲付き」と呼ばれるモーツァルトの「ピアノ・ソナタ第11番イ長調」の第1楽章の主題である。

したがって、何となくレーガーのイメージにそぐわない感じがするのだが、実際に聴いてみると自由過ぎるほどの変奏が第1変奏から第8変奏まで続き、最後にフーガで締め括るので、なかなか聴き応えがある。

ライナーノーツによれば、オーケストラの編成は「3222-4200-ティンパニ、ハープ、弦楽器」となっているので、木管楽器はフルート3、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2で、金管楽器はホルン4、トランペット2であり、決して小さな編成ではない。しかし、元のモーツァルトの主題が「シチリアーナ(siciliana)」という典雅な舞曲の様式を採っているため、レーガーのこの作品も全体的に明るく伸びやかな雰囲気を漂わせている。

これに対し、「ある悲劇のための交響的プロローグ(Symphonischer Prolog zu einer Tragödie)」は、単一楽章で重厚で暗鬱な響きで始まる。
ライナーノーツによれば、この作品のタイトルになっている「悲劇」は特定の文学作品を指すものではなく、ブラームスの「悲劇的序曲」のように、悲劇的な雰囲気を示すもの、あるいは悲劇の基本的な感覚の表現と考えられるそうである。

作曲家の友人である指揮者のアルトゥル・ニキシュ(Arthur Nikisch, 1855 - 1922)に献呈されたこの作品は、1909年3月9日にケルンで初演され、その9日後にはレーガー自身がライプツィヒ・ゲヴァントハウスで演奏を指揮した。この演奏会の前に、彼はライプツィヒの友人アドルフ・ヴァッハ(Adolf Wach, 1843 – 1926:フェリックス・メンデルスゾーンの義理の息子)に「木曜日のゲヴァントハウスの非常に優雅な聴衆が、私の『ある悲劇への交響的プロローグ』の陰鬱な音色をあまり評価してくれないだろう」と書き送っている。

木管3本、ホルン6本、トランペット3本、トロンボーン3本、チューバ、ティンパニ、打楽器、弦楽器という大編成のこの曲は、しかしながら終始嵐が吹きまくっているような曲想ではない。時折静まっては、風雨が再びぶり返すという曲想であるが、人智を超えた大きな力のうねりを感じさせる。

ドイツ帝国が対外侵攻のために軍備を拡張していた時期に、レーガーは早くも第三帝国へと突き進む自国の未来を予感していたのだろうか。それとも、不健康な生活習慣が彼の寿命を縮めつつあることを予感していたのであろうか。いずれにしても、彼の身近に「悲劇」が存在していたことだけは確かなのである。

スポンサーサイト



風街ろまん
Posted by風街ろまん

Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply